九鬼周造
「日本詩の押韻」より「地中海の落日」
○銀色の橄欖の林から
匂やかに南國の風が吹く
ユッカの花の向ふは青い海原
○アペニンの山脈も影がうすく
夕霧の中に溶けたまま
眞赤な日が地中海へ落ちて行く
○想ひ起すのは房州の濱
入陽を映して薔薇色に顫(わな)なく浪
海のかなたに紫に浮く富士の山
○あのとき私をおそうた魂の痛み
生(いのち)ににじむ愁ひのきざし
わけもなく取留もない幽かな惱み
○あれはまだ少年の日の私
やうやく戀を知りそめた頃
いつの間にかもう二十年の昔
○いまも丁度あの瞬聞のこころ
そつくりあの通りの氣もちだ
違つてゐるのはただ時と處
○私は矢張のもとの私だ