松尾捨治郎
「國語論叢」の「國語學史篇」より
其の中に方言に關する事が記載されて居るが、之を綜合すると、方言座談會といつてもよいやうな會が、二回程あつたやうである。その大體を紹介する。
其の第一は、第二卷の『じ ぢ のけぢめの條』に見えて居る。即ち
時 文政の初年
處 鐸ノ屋 藤井高尚の京都塾
人 1 吉田 直堅(土佐人) 2 本居 太平
3 塙 保己一 4 大堀 正輔
5 義門
といつた構成で座談が行はれた。此の時の話題其の他が詳かでないが、次のやうな談話の行はれたことだけは解つてゐる。
吉田「郷里土佐では富士の山は必ずふじ山 藤の花はいつもふぢ とかくこと、女わらべも間違はない。口で呼ぶのが區別されでゐるからである。然るに京に出て三年五年住んでゐた女などは、歸國してことさらめいて解らぬやうにいふ。